不思議の国のロシア 〜エカテリーナ2世〜
エカテリーナ二世 1729年生まれ 在位1762〜1796年

エカテリーナ二世が在位する2つ前の女帝、エリザベータは独身だったので姉の息子を養子としてロシアに来させるんだけれど、ドイツ人意識が強くロシアに馴染む気配がないダメ息子(ピョートル三世)でした。
そのダメ息子はプロシア王女との結婚を希望したけど断られて、ドイツシュテッティンの貧乏貴族でクリスチアン=アウグスト公の第一息女ゾフィー・フォン・アンハルト=ツェルプスト、その後ロシア正教に改宗してロシア語を学び改名し、エカテリーナ・アルクセーヴナと名乗ります。ゾフィーの母親の兄は、エリザベータの婚約者だったのですが死んでしまっていて、そういうご縁からの結婚です。
小さい頃からエカテリーナは自分の容姿があまりよくないこと、地方貴族という低い身分、そして努力家で勤勉家な事を分かっていました。ダメ息子のピョートルと結婚したのはロシアという国を手に入れたいという野望の為になのです。

1745年8月21日 結婚(14歳)
エカテリーナの花嫁衣装は、銀糸とビーズの刺繍がほどこされた、それはそれはド派手な衣装でした。普段のウエストが63センチだったのに、コルセットによって48センチにし、3時間の結婚式の間に6回倒れたと言われています。この衣装は現在もクレムリンにある武器庫に展示されております。

1754年9月20日 出産
2度の流産後、後にパーヴェル一世と呼ばれる男児を出産。
ピョートル三世とは既に終った関係だったので、この子供はセルゲイ・サルトゥコフが父親なんだそうで。でも義母のエリザベータにこの息子はとられてしまい、手元で育てることはできませんでした。

1761年エリザベータ 死去 ピョートル三世の治世
せっかくプロシアとの戦いで勝利が近かったのを、あっさり停戦し占領地を返還し、一緒に戦っていたオーストリアと戦うという、アホな事をします。

1762年近衛連隊クーデター
アホなピョートル三世に我慢ができなくなって、近衛連隊がクーデターをおこします。ピョートル三世は廃位され幽閉され、エカテリーナ二世が即位。
ピョートルはその後幽閉先で謎の死をむかえます。

女帝になった後のエカテリーナは
トルコ戦争をして勝利をおさめたり
ポーランドをオーストリア、プロイセン、ロシアで3分割させたりします

国内では文科・学術・教養などの近代化を推しすすめて、女子学習院の創立、法廷の編纂、科学アカデミーの設立なども行なう。建築もガンガンすすめられました。エリザベータやエカテリーナの女帝時代に活躍した建築家がラストレリです。

1796年 脳溢血の為死去(67歳)
エリザベータに育てられたパーヴェル一世は、これまたダメ息子なので次代皇帝は初孫のアレクサンドルにするつもりでした。この孫もエリザベータのように、出生後嫁から取り上げて自分で養育したりしてました。即位したパーヴェル一世は法律で男系優位の皇位継承法を制定して、女帝を認めなくします。お母さん、よっぽど嫌いだったんだね。

いろいろ書きたいことや思うことはあるのですが、ロマノフ王朝(1613年〜1917年)は300年は、江戸時代の徳川幕府と違い、不安定な政治経済だったような気がいたします。
ちなみにロマノフ家というのは現存しているらしいです。

エカテリーナ2世肖像画
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知性に溢れ教養があり、美術工芸品を愛し、夜はたくさんの愛人と一夜を共にしたエカテリーナ。賛否両論あるとは思いますが、栄華を極めたキンキラ宮殿を見学すると彼女の偉業は歴史に残るすばらしさだとは思います。

ロシアに旅行にいかれる方は、ピョートル大帝とエカテリーナ2世について勉強すると、だいたいの事が頭に入りますよ♪
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by richegg | 2006-08-27 09:59
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